HONDA Coupe 7

 20代の時初めて購入した車。オートバイメーカーから乗用車メーカーへの脱皮過程で、1300cc空冷と云う、よくぞ造り込んだものだというコンセプトに圧倒されての選択だった。

 70年代、日本の乗用車はマニュアル車がほとんどだった。米国では確かオートマティックトランスミッション(AT)車の比率が6割を超えていた時代である。日本車も輸出用にはATが組み込まれていたが、変速機自体は大手専業メーカーが寡占状態だった。特許権を侵害しない独自路線のほとんど2段変速セミAT(スターレンジ)で健闘していたのがホンダだった。周囲にAT車乗りが全くいないのにこれからの乗用車はATだと云う思い込みでAT車、しかも空冷クーペという選択、資金もないので激安中古と云う制約の中、ホンダ営業帰りの地元中古屋さんがインターネットなどの情報ツール無しであちこち探してくれ、福島県からやって来た。おそらく国内販売 HONDA Coupe 7 の中でもATは希少価値だったものと思われる。

 さすがに激安中古と云う制約だったので、当時はやりのレザートップはいいとして、ゴールドのボディ色は濃いめのグリーンへオールペイントされた物だった。乗り始めて後輪ショックアブソーバが抜け加減と気づき、たまたま市内スクラップ置き場に同モデルを見つけて、所有整備工場へ談判、自分でスクラップからショックアブソーバを外して交換した事が思い出される。ワンコインだったような気がする。それもこれも、後輪の構造がリーフスプリングに一点支持の左右独立した固定構造だったので、スプリングを縮めて固定したりする必要がない簡単なものだったからである。この時ラジオも交換した記憶がある。

 当時はクーラー(冷房のみの機能、暖房はヒーター)が車に取り付けられ始めた頃で、後付けスペースとしては助手席のグローボックス下部が定番だった。手に入れた Coupe 7も前オーナーが取り付けていたので、助手席にはクーラーが鎮座していた。

HONDA Coupe 7

 コックピットは当時はやりの戦闘機の如し、更にドライサンプ式エンジンオイルの空冷1300は、ヒューンヒューンと独特なエンジン音を響かせ、ドライブする毎に酔いしれていた気がする。ただし、パワーステアリングが一般化する前のフロントヘビーのこの車は、操舵がえらく重かった。この頃の感触が体に染みついているので、パワステ当たり前の最近の車で据え切りを見かける度に、タイヤが減るとえらく気に掛かる昨今ではある。


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